メルセデスと名言・格言。 コラム ブランド
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記事内容
- ゴットリープ・ダイムラー (Gottlieb Daimler)
- カール・ベンツ (Carl Friedrich Benz)
- ベラ・バレニー (Bela Barenyi)
- ブルーノ・サッコ (Bruno Sacco)
- アルフレート・ノイバウア (Alfred Neubauer)
ゴットリープ・ダイムラー (Gottlieb Daimler)
ゴットリープ・ダイムラーは自動車の発明者であり、メルセデス・ベンツの生みの親のひとり。1834年、南ドイツのヴュルテンベルグ王国ショルンドルフに生まれ、幼い頃から機械好きで、シュツットガルトの高等工業学校に進学。エンジニアとなり、1875年に世界初の4サイクル・エンジンの運転実験に成功。これを受けて自身の研究所を設立し、自動車の開発をスタートします。1886年には自動車の開発に成功し、その革新的な技術と独創性は、現代の自動車産業の礎となります。彼の有名な「最善か、無か。」という言葉には、最善を尽くさなければ無と同じで、中途半端なものは存在しない。つまり、メルセデス・ベンツの名のつく如何なるものは、品質と安全においてすべて最高の規準まで進歩したものにするということを意味しています。
カール・ベンツ (Carl Friedrich Benz)
カール・ベンツはゴッドリープダイムラーと同じく自動車の発明者であり、メルセデスベンツの生みの親のひとりです。1844年、バーデン大公国ミュードルフに生まれ、当時の花形職業であった鉄道機関士の父を見てエンジニアを志します。地元カールスルーエの工業高校で内燃機関を学んだ後、2サイクルエンジンを完成させます。1886年1月29日、彼の手で完成させた原動機付き三輪自動車にドイツ政府から特許が与えられました。これが自動車誕生の瞬間といわれています。彼はその生涯を発明に捧げ、点火装置、点火プラグ、キャブレター、クラッチ、ギアシフトをはじめとする現代では自動車になくてはならない機構において特許を数多く取得しています。それは、発明への止まない情熱がゆえの成果です。
ベラ・バレニー (Bela Barenyi)
ミスター・セーフティ/ベラ・バレニーは34年間の在籍時代を通じて、約2,500件もの特許を取得し、さまざまな安全技術を開発しました。パッシブセーフティ(受動的安全)という概念を生み出し、メルセデス・ベンツ=「安全」という評価を確立することに大きく関与した人物です。その功績から「ミスター・セーフティ」と呼ばれ、世界の自動車業界から敬われました。彼にとっての自動車は、まずは安全な乗り物でなければならず、それこそが終始一貫した設計の基本でした。彼が開発した代表的なものに「クラッシャブルゾーン」があり、それは、それまでの頑丈であればあるほど安全性が高いという考え方を大きく変える自動車概念でもありました。既存の思考法にとらわれず、絶えず新しいを手法を模索していた彼だからこそ、実現した安全思想なのです。
ブルーノ・サッコ (Bruno Sacco)
ミスター・デザイン/ブルーノ・サッコは1970年代末から1990年代にわたって、メルセデス・ベンツのデザイン部門を担った人物です。1981年のSECクーペ(C126)を筆頭に、190E(W201)、初代Eクラス(W124)、3代目Sクラス(W140)、CLK(C208)、SL(R129)などまでを手掛け、メルセデス・ベンツのブランド価値を維持する責務を果たした人物です。1958年に入社し、1999年の引退まで41年間も勤めました。引退から長い時間が経過した今も彼の手によって生まれたデザインは、時代を超えて愛され続けています。それは彼のデザインはつねにメルセデスの姿をしているからなのです。
アルフレート・ノイバウア (Alfred Neubauer)
名将/アルフレート・ノイバウアは1926年、レーシングチームのマネージメントを専門にする役割の重要性に気付き、チーム監督(Rennleiter/レンライター)というポジションを着想。レースの状況やドライバーがとるべき戦術判断を旗や板(後にサインボードと呼ばれることになる)を用い、ドライバーに伝達する仕組みを考案しました。チーム監督として数多くの勝利を手中にした彼の経験と洞察力は、メルセデス・ベンツのモータースポーツ活動に大きく貢献し、そのモータースポーツから得た技術思想は乗用車においても多く応用されています。
まとめ
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